美術作家 福井瑞紀さんとえのはなし
2021.10.24 Art Space Cafe Barrack(その1)

猪狩
こんにちは。それでは、16時になりましたので始めたいと思います。私は猪狩雅則と申します画家で愛知県立芸術大学の教員でもあります。 この企画は僕が企画をしていて、この場所Art Space & Cafe Barrackに持ち込み、場所を借りて開催させていただいています。企画の趣旨は、作家の制作背景の言葉による記録です。例えばコンセプトシートなどが展示会場に置かれていたりしますけど、そういったかしこまったものではなくて、作家の制作態度、制作意識の背景が垣間見えるような、もう少し生に近い言葉、それをなんとか形にできないかなと思ってこの企画を立ち上げました。 今回3回目なんですけど、第1回2回を踏まえて思うことは、日本における現代美術シーンの受け皿はそんなに広くないのではないかということです。作家はどんどん増えていくんですけど、その美術シーンの受け皿みたいなものはそれほど大きくなっているわけじゃないように思います。ひょっとしたらその受け皿からこぼれ落ちている作り手がいるんじゃないか、その作家たちの実践が表に出ることなく埋もれてしまったら勿体無いのではないか、まあそういったことを考えながら、作家の言葉を記録していければと思った次第です。今回は3回目で福井瑞紀さんをお招きしています。福井さんは同じ時期に同じ大学に通っていたので、学生の頃からなんとなく作品の変遷を見てきています。僕は、福井さんの制作のモチベーションが継続して自分自身にしっかりとあるっていうのを勝手に感じてました。 流行などに左右されず、自分を基盤に素直に制作しているっていう印象です。今日はその辺りのお話しなどもできればと思います。ということで、この企画の3回目です。あまり難しい話をするつもりもないので、リラックスして聞いていただければと思います。よろしくお願いします。

福井
よろしくお願いします。

猪狩
では、早速最初の質問ですけど、作品を作っていこうと思ったきっかけ、美大を志したきっかけ、美術に関わっていく事になったきっかけみたいなものを聞かせてください。

福井
はい、私の場合は2段階ありまして、まず美大に行こうと思った時点ではあまり現実的に考えていなかったです。高校が随分と詰め込み式の進学率重視のところだったので、その反動と言ってしまっていいかもしれません。そんな決断で飛び込んでしかも現役生で大学に行ってしまったので、ずっとオロオロしたまま卒業してしまった学生時代だったんです。学生時代は熱心な良い学生にはなれなかったという後悔はあります。

猪狩
そうなんですか?僕は福井さんの2学年上で同じ時期に愛知芸大の学生でしたが、僕の印象ではそこそこ積極的に制作や展示をしていたような印象がありますけど 。

福井
美大に行こうと思ったのが遅かったので、高校生の時に予備校で初めて絵画彫刻以外の現代アートというものを知ってそれはそれは衝撃でした。あ、いろんなことができるんだと思って。ちょうど入学した年が、横浜トリエンナーレや越後妻有が始まったり、あと私が受験した年ってのは芸大の先端芸術表現科ができた年だったし、国内の事情も大きく動いた年でしたよね。私は現役生だったんですけど、周りの一緒に行動していた数人の友人が高校も美術科を出てさらに浪人しているような人達だったので、自分だけ何も知らないからとにかく何でも見て追いつかないと話についていけないみたいな状態でした。これもありなんだ、あれもありなんだ、じゃあ色々やってみたいって思ったままに色々手を出していました。

猪狩
大学の授業とは別のベクトルで積極的に制作していたって感じなんですか?

福井
そんなことはないです。授業とは全然別にやったのは1回くらい。だから、その私が積極的に発表してたっていう印象は多分実際のものではない。気のせいかもしれない。

猪狩
そうですか、すいません。それは僕の気のせいかもしれない。福井さんは2000年に入学ですよね。僕は1998年入学なんです。当時は気にかけていませんでしたが、愛知芸大の油画専攻も2000年あたりでカリキュラム改革があったんですよね。僕は2学年の上なんですけど、僕がこなしていたカリキュラムっていうのは、1ヶ月人物モデルを描けとか1ヶ月静物を描けとか、そういった旧態依然の授業でした。福井さんが入った2000年くらいから現在のような講座制のカリキュラムになりました。いわゆる各先生がそれぞれ3週間から1ヶ月くらいの講座を開いて、その連続で通年のカリキュラムを組み立てていくっていう風になったんですよね。その違いも少し関係しているのかなと思いました。僕から見てより軽やかに絵画領域を外したある意味で自由な制作ができる学生が多い学年だなっていう印象でした。

福井
うーん、多かったかもしれないですね…。猪狩さんの言う講座カリキュラムでは素材の指定をされることがほぼなかった…はっきり覚えているわけではありませんが…。それで絵画以外の表現で課題に応えていたと思います。熱心な良い学生ではなかったのですが、もしかしたらオロオロしながらもひたすら突っ走ってたのが先輩である猪狩さんには積極的に映ったのかもしれません。

猪狩
そんな中、卒業制作(画像:タイトル・水たまり)に向かっていくわけですよね。この作品についてちょっとお話をしていただければと思います。

福井
そうですね。えーっと、美大を目指す以前にチチカカ湖っていう湖が好きで、アンデスのことを研究する人になりたいなあと漠然と思っていたんですよ。ケチュア語とか研究して、チチカカ湖に接近するわ、みたいな。チチカカ湖のファン。それがですね、ある時、急に自分のやってることと繋がったことがあったんです。なんか立体ぽいものを作ってる途中に、全体の形は立体だけど、いちばん意識を注いでいるのは表層的な部分かなと思うことがありました。そこでチチカカ湖のことを思い出すんですけど、チチカカ湖って豹の石っていう意味なんです。あのプーマの豹。実際にスポーツ用品のプーマの商標みたいな形に見えなくもない形をしていて。それで最初そのチチカカ湖のファンになったきっかけっていうのは、標高がめちゃくちゃ高いんですよ。アンデス山脈の上の方にあるから。ですごい大きい。琵琶湖の20倍ぐらい。なので全貌を見渡せることができないのに豹の石って、豹って形をわかってた。それは昔のアンデスの人達は空を飛んでいたからだっていうエピソードがあって、興味を持ったのはそこがスタートだったんですけど、だんだん調べていくうちに測量技術や建築技術とかすごく優れていることが分かりました。優れた測量技術でその人たちが湖の形を知ることができたということと自分の立体みたいなものを作っているのにその表面ばかりに意識が注がれているっていうことが、3次元っていう現実と2次元っていう絵画的イメージの、こう次元を横断したような関わり合いという共通項として繋がって、そこから卒業制作につながっていくんですけど。こう振り返るとなぜ絵画ではないのかという問いは自分の中にもありましたね。そうだそうだ。で、じゃあ地図に直接アプローチしてみようと。何かヒントがあるんじゃないかと思って。それで時間をかけて干上がって形を変えていく水溜りを一定時間おきに測量して形を出した物を作った。平面を合わせて立体になってるというものです 。

猪狩
この作品(画像:タイトル・水たまり)の形はチチカカ湖とは関係ないのですか。

福井
ありません。家の近所の水たまりです。

猪狩
これは学部4年生の卒業作品ですけど、それに至る過程というものはどういったものだったのですか?やはりどちらかというと絵画の領域を外した制作を辿っていたんですか。

福井
そうですね。

猪狩
その理由は具体的に何かありますか?僕らの学年だったら絵画の領域を外すというのは少々勇気のいることだったんですよね。さっきも言いましたけど、たった2学年下ってだけだったのに、軽やかに領域を外している学生が多いイメージがあったんです。特に理由もない、意識もしないぐらい軽やかだったんでしょうか。

福井
私の場合、分からないから何でも見ていたその時期に、国際展や数々の現代美術ギャラリーで見たものが、私の中のディスイズ美術としてあるのかもしれません。絵画以前に美術でした。それにやっぱりそのあれじゃないですか、メディアを通してしか見られなかった海外の大きな国際展とかが実際に見られるようになると、やっぱりうわーでかいとか、うわーって見上げる衝撃や空間で感じる感動が最初にある。画面越しや本で見ていると資料として消化してしまうというか…。わーでかいすごいかっこいい、よーし私もやってみようって。他の人も、実際は分かんないですけど、映像作品も身近に見る機会が増えて映像をやったりとか、やっぱり触れるものの違いというのは大きかったのではないんでしょうか。それから在学中に油画専攻なのに寺内曜子さんが先生としていらっしゃったことも大きいかもしれない。絵画以外の表現への後押しになった。

猪狩
なるほど、寺内先生は彫刻専攻出身ですよね。確か村上隆のゲイサイとかも2000年ぐらいから始まったりして、積極的ないい意味で何も意識せずに領域を逸脱した制作が増えていって、それらが美術雑誌に掲載されていたりしてました。それでも、僕はそれをやってみようと思わなかったんですよね。なんか、絵について何もわかっていないのに領域を外すってのはちょっと違う気がしたんですよ。領域を外すのは自分の絵をひと段落させてからって思っていたんですよね。今考えるとけっこう堅い学生だったなと思います。

福井
まっさらだったから逆に自由になれたところはありますよね。私以外にも現役生の多い学年でした。

猪狩
それで大学を卒業するわけですが、学部を卒業した後は大学院などに進学しなかったんですよね。

福井
進学は考えませんでした。

猪狩
それで海外に行かれましたよね。

福井
そうですね。チチカカ湖の周りを1年ぐらいふらふらと。

猪狩
その辺りの話を少し聞きたいのですが、チチカカ湖には行くことはもともと決めていたんですか?

福井
決めていました。行かなきゃ終わらないだろうと思っていました。もうこれもずいぶん前の2005年のことなので、旅自体の話は今は昔の話ですけど、学生時代から現在までの約20年の前半ずっとキーワードになってたのはチチカカ湖。行って終わらせようと思っていたんですよ。オロオロしたまま自分の表現がよく分からないまま卒業してしまった。これはまずい、チチカカ湖へ実際行ってきちんと作品にしなければ。けりをつけなければと。

猪狩
なるほど。けりをつける。いいですね。具体的にチチカカ湖に行って何をしようと思ったんですか?

福井
チチカカ湖を一周しようと思ったんです。測量を、測量の真似事をしようと思って。実際はこうきっちり歩いたわけではなくて、湖畔の町を辿ってそこから湖の様子を見る程度っていうのに留まっていますけど。美術とチチカカ湖が自分の中で繋がってから冒険家の手記などをよく読むようになって、そこではまっていたのが伊能忠敬と石川直樹さん。石川さんは今はすっかり芸術分野の方という感じですけど、当時はまだ完全に冒険家という肩書きでした。その流れで自分の中にイメージとして膨れ上がったチチカカ湖を実際に踏破することを私の冒険としていました。なんか冒険、探検をする気だったんです。

猪狩
どういった方法で測量のようなことをしたんですか?

福井
地図を持って、行ったところにチェックをして印をつけてました。あとは、何に使うとか目的があったわけではないですが太陽(※)をモチーフにしたパッチワークを作っていました。途中で盗られましたけど。 (※インカ帝国の国教は太陽神信仰であったといわれています。)

猪狩
それはショックですね。ところで何年行ってたんでしたっけ?

福井
1年間です。

猪狩
帰国した後、作品制作が具体的に始まっていくと思います。福井さんの作品で印象に残るのは曲線から生成されるこの有機的な形だと思います。この形はどのように導かれるのですか?(画像:タイトル・カルミンの卵)

福井
形の導き方ですか。形……。ねえ。

猪狩:
じゃあ…、話を変えて……、素材の話をしましょうか。布を利用してますよね。

福井
布を利用してますね。

猪狩
そのあたりの話から入りましょうか。

福井
そうですね。ここが2段階目の美術と関わっていこうと決めたきっかけになるんですけど。チチカカ湖を実際にめぐって作品にしようと思って作った作品がですね、布だったんです。布…、ずっと持ってたんです旅の間、色鉛筆とインクという描画の道具と、ちょっとまとまった量の端切れ。破れた服や鞄を修復したり、他の旅人の破れた服やカバンを補修したり、あとちょっとお世話になった人にちょっとした物を作って渡したりとかしていて、今思うと針と糸はずっと動かしていましたね。それで自然に作品は布になったんでしょうね。完成した時に、学生時代にずっとふわふわと持て余していた頭の中のものが、あれ?この素材なら繋げられる気がすると思いました。終わりにするつもりが始まりになってしまって…今に至ります。

猪狩
なるほど、チチカカ湖に行く前、大学の卒業制作(画像:タイトル・水たまり)は木材でしたよね。

福井
木でしたね。でも、ツルツルに磨いてあるんですよ、ツルツルしたくて。絵の具ってこう厚みとか筆の跡が残るじゃないですか。それがなくて色だけ染み込ませることができるので、そこが染めるという手法を採っている理由のひとつになっています。

猪狩
布の色味は全て自分で染めているんですよね。

福井
全部染めていますね。

猪狩
その色の導き方っていうのはどうしているんですか?

福井
色は、色ですか。イメージがあるんですよ。最初にしっかり設計図を作ってそれに合わせて染めて縫い合わせて行くんですけど、その時に設計図と並行してできるだけ具体的なイメージを持つようにするんです。例えばこれ(画像:トーク時背後に掛けてあった作品。タイトル・裏庭のベル)だったら冒険家が寒いところに来て、アザラシのお腹を割いて手を突っ込んで暖をとったっていうエピソードが赤色の取っ掛かりになっています。途中にもいろんなエピソードがあの時のあれだなとか、これはこういうこれだなとか引っかかり合って色も出てきます。

猪狩
ちょうどエピソードっていう話が出ましたが、作品制作のもとになるいくつかのエピソードがあって、それらのエピソードをベースに作品を作っていくという感じなんですか?

福井
そういう場合もあります。要素要素の。

猪狩
なるほど、先ほど例にあげたこの作品(画像:トーク時背後に掛けてあった作品。タイトル・裏庭のベル)の場合、どれくらいの距離感でエピソードが絡んでたりするんですか?

福井
あー…、そうですね。そのなんかそのエピソードを込めるみたいな大層なことではないんですけど、ええと、では、打ち合わせ中にその話をしていた時に、猪狩さんが僕はモチーフなんでもいいからって言っていて、モチーフなんでもいいから、シーソーという名前のギャラリーで展示をやるから、ギャラリーシーソー周辺の写真を撮ってそれを描いたと言っていて印象的だったんですけど、なんでもいいというのはどこまでなんでもいいですか?

猪狩
そうですね、僕の場合モチーフは「なんでもよい」という感覚でやってます。どんなモチーフでも僕の絵にできるのではないかという感じでしょうか。昨年(2019年)シーソーギャラリーで展示した時も、11月に展示することが決まっていたので、前年の11月にギャラリー周辺の写真を撮ってそれをモチーフにしてました。それができなかったとしたら他の適当な方法でモチーフを選んでいたんだと思います。僕の絵は、一番遠景に風景モチーフがあって、手前に何かの形を持ってくるという組み合わせで絵ができています。近年はモチーフなんでもいいにプラスして、上下左右も何でもいいという要素が入ってきていて、できるだけモチーフに意味を持たせないようにするところがあるんです。元々エピソードとか物語性を絡めるのが苦手っていうのがあって、そういうやり方をやってみてもどうも性に合わなくて。じゃあちょっとエピソードからなるべく離していこうかってやっていたら、どんどん「どうでもいい」というキーワードで進めていくことになったという感じなんですよね。タイトルとかも、「庭」「庭1」「庭2」「庭3」「庭…」って番号が付いてるだけだったりそういった感じなんです。でも「どうでもいい」と言いながら線引きはしてたりはします。例えば植物図鑑を買ってきてそれをモチーフに絵を作ってはみたことはありますが、あまりリアリティがなくて、図鑑からイメージを拾うのは違うんだと、また、旅行雑誌の風景写真なども試してみたことがありますがやっぱりダメで、モチーフは自分で撮影したものが大事かなっていうのは今のところありそうです。なんか悩ましいところは、なんでもいいといいながらも自分でトリミングやら写真の選別やらをちゃんとしてるんですよね。「なんでもいい」というポーズを取ってはいますが、実際は、何でもいいという訳ではないんだとは思うんですけど……。

福井
その天地をどうでもいいようにするのとかも、すごい操作しないと…。

猪狩
そうそう、そうなんですよ。それを言っちゃぁって感じなんですけど、ドローイングの段階で絵になるようにしっかり考えてたりしてね。

福井
ですよねえ。

猪狩
福井さんの作品って、モチーフがあったとしてもそのモチーフはかなり潜在的に作品に内含されているように思います。さっきの話では、モチーフとなるエピソードはあれど、それらのエピソードをそこまで絡めて制作しているつもりはないという印象でした。実際、そのエピソードと作品はどのような感じで絡んでるのか、そこまで考えてないとはいってもエピソードっていうのはあるような気がするんですけど。

福井
今お話を聞いて、なんかこう同じだと思います。実感できるかどうか…。神話の世界観をそのまま作りました、みたいなことではないので、多分同じことを言っていると思います。エピソードを拾ってきて、自分に触れて繋がったものが緒(いとぐち)になっているのかなと思います。

猪狩
なんか今ピンときました。僕が実感できるかどうかでモチーフを「どうでもいいもの」として分別していることでうまれるエピソードと作品の距離感は、福井さんのそれと意外に変わらないのかなって。なるほど、腑に落ちました。

(その2に続く)