美術作家 福井瑞紀さんとえのはなし
2021.10.24 Art Space Cafe Barrack (その2) 

       

(その1はこちら)

猪狩
作品には有機的な形が連続して生まれていますよね。例えば直線はあまり見えてこないと思うんです。その辺りの形というはどのように出てくるのでしょうか。

福井
気になった話や情景を思い出しながら落書きみたいにふにゃふにゃ描きます。シャープペンシルで、描いては消して、止めて、次の紙に描いて。

猪狩
その生まれてきた形に色を乗せていきますよね。その描かれた形にのっかる色っていうのはどのように決まっていくんですか?

福井
描いて消してを繰り返しているうちに完成図がはっきりしてきます。色と形の媒介になるのがさっき話題に上がってた「エピソード」ということでしょうね。

猪狩
なるほど。ちなみにタイトルってつけてますよね。どのようにつけてますか?

福井
それもエピソードからつけます。

猪狩
こういった布を利用している仕事はもう何年ぐらい続けられてるんですか?

福井
これは、布を染めて縫うというのは、2006年から15年続けています。

猪狩

最近ちょっと仕事が変わりましたよね。紙の仕事っていうのやられてると思うんですけど、布の仕事とは違う物なのでしょうか?
(画像:記憶のスクラップ1)(画像:記憶のスクラップ2)(画像:記憶のスクラップ3)

福井
そうですね。別のことをやっていると思っています。

猪狩
布の仕事には設計図があるような気がするんですけど、紙の仕事には設計図がないように感じます。

福井
そのとおりです。布の作品は詰めて詰めて形を掘り出すようなところがありますが、こちらは飛んできた蚊をバチーンと仕留める感じです。即興性とスピードを出そうと思って。やり始めて、当然といえば当然ですが、描くことと縫うことは全然違うんだなと思いました。布の仕事では完成までの工程が多くて描くことと離れすぎてるからあんまり気づいてなかったんですけど。紙を使った仕事ではスピード感のある線を入れたくて、いくつか描いて、それを使ったりするんですけど、同じ線なのに描いている時と縫ってる時が全然違って、何か途中でハって、これ私もし筆とかペンで描いてたらここ繋げてないわとか、そういう部分に気づいたりしたので、双方への影響をちょっと意識して進めたいなと思っているところです。

猪狩
これって僕は実物見たこと見たことないんですけど描いてるだけなんですか?例えばコラージュしたり、何か色面を置いたりとかはしてないですか?例えば縫い込んだりとか。

福井
糸で縫いつけています。

猪狩
あ、そういうことなんですか。

福井
そう。ワックスペーパに油絵具で着色して、それを使って縫い留めてる。

猪狩
あーそういうことなんですね。それはご自身としては描いているっていう感じ?

福井
だから、縫っている。縫うドローイングみたいな事をしようと思ってやっているんですよね。なんかもっとこう紙で紙にさっと描くようなスピード感があるドローイングのつもりでやっているのに、縫っているからなんかここ繋げちゃったみたいな発見がある。

猪狩
そういうことですか。なるほど。それは描くという感じではないですよね。その縫うというひと手間を入れる理由とかありますか。

福井
縫うというのは大事なんです。縫うというのは測量の一歩なので。地形を歩いてなぞる行為なので、縫うことはきっとずっと大事にしている。

猪狩
縫うという行為が…。

福井
そうそう、形を導き出すための…。

猪狩
なるほど描く事ではダメだって感じなんすかね。

福井
それはなんかあんまりピンと来なかったですね。

猪狩
この赤いのは糸なんですね。話を聞いていると、布の仕事と全然遠くないような印象があります、紙の仕事は画像でしか見てなかったのもあって、布の仕事とは随分と印象が違うなと思っていたんですけど、話を聞くと思ったより地続き感が強くて、なるほどなと僕は思いました。でも、現段階ではこの二つの仕事は離れてるっていう感じなんですね。 なぜか出てきた測量の話。縫うことについて。

猪狩
測量という言葉がトークの最初に出て、今再び出てきました。布の作品の制作過程においてはその言葉が出てきませんでしたね。

福井
もうね、チチカカ湖の話はもう今は昔なんですよ。そもそもの始まりですから切っても切れないんですけど、今あえて掘り起こして話す必要もないなと私は思っていますが、でも出てきちゃいましたね。

猪狩
最近の作品は測量関係ないすよね。

福井
関係ないですね。全然関係ないです。初めこそ縫うことで形をなぞることが重要でしたけど、今はそこではないです。

猪狩
じゃあふと今、測量という言葉が出てきてきてしまったと。

福井
私も久しぶりにに測量っていう単語を言ったぐらい。もうそんな奥底に、私の奥底の何かがこう何かが滲み出ることはあるでしょうけど…、ていうようなもので。

猪狩
その縫うという行為と測量っていうのは、ニュアンスとしては繋がるような気がします。話は変わりますが、僕の場合、制作の展開の方法で言うと、思いついたらとりあえずすぐやってみようかというタイプで、結構気まぐれに展開しがちなんです。例えば近景にある形は手ぬぐいや衣服など現実にあるものを引用してましたが、ある時に任意の形、色面で良いのではないかと色面に変えた時期がありました。今となっては、まだその段階ではないと判断して、近景の形は現実にある具体的な形に戻していますけど、作品の展開の方法というか、作品の進め方というか、何か考えていることはありますか?

福井
割と長いスパンで立体を目指していて、裏面がいらないなとか、あの厚みが要らないなって思ったりして、今は全体が染めた布で構成されていますけど、最初はこの画面の中で、地と図があって、さっき写っていたなんかこのニョロってなって真ん中にあるやつは、多分地と図があった最後の作品で…。それ(画像:タイトル・ウォーターマーケット)です。

猪狩
白い部分が地という感じですか?

福井
そうですね。これを展示した時に、厚みとか裏面が邪魔だなと思って。ということは私は作品そのものと展示空間で地と図の関係にしたいと思っているのではなかろうかと思って、だから立体を目指しているというのはそういう意味です。

猪狩
なるほど、空間インスタレーションという感じになるのかな。

福井
インスタレーションとかになるよねだから。だから最初に戻ると言うか、やっぱり戻っちゃうなっていう、やっぱり戻っちゃうの。初めて現代美術に触れたときの、空間に包まれた衝撃や感動に私は憧れているんですよね、きっと。

猪狩
そうか、でも福井さんの作品から絵画的な要素は感じます。インスタレーションとはいいながら、図と地という言葉が出てくると絵画の問題意識のようなものが根底にあって、作品からただよう絵画的要素に納得できますけど…。

福井
「別に絵画ってわけじゃありませんよ」なのかな?そもそも描いてないから絵画の仲間入りはできない。それで<平面作品>と言っている。立体目指してやってみては戻って、なかなか「平面作品です」から抜け出せないんですけど、まあ抜け出したいと言うか、平面作品をやめたいわけではないんですけど、平面作品ですと今言っているので。

猪狩
なるほどね。

福井
ところで、さっきの任意の形を引っ張ってきているっていってましたけど、任意の形っていうのはどういう感じで引っ張ってきているんですか。

猪狩
大きな形が画面の近景に欲しくて、色々考えてやってみてました。最初、それこそ任意…、言ってみれば気ままな形を作って、近景に置いてみたらなんとなく不自然だったので、画面上不自然ではない形で尚且つ僕の意識が及ばない形にしようと思い、布とか服とかを放り投げて落ちてくる様子を連続写真を撮って、その形を画面上で組み合わせて作っていました。そういうのやってるうちに、これひょっとして単なる色面でもいけるんじゃないかと思って、それでまた任意の形っていうのが出てきました。ひょっとしたら 福井さんの形の抽出方法と似てるかもしれないんですけど、ドローイングで形を決めたり、色紙を切って心地の良い形というのを探ってみたり。ある程度丁寧に任意の形を探りました。でも、なんかそっちの方が不自然になってしまって…、つまり任意になりきれなくて。

福井
難しいですよね。その任意の形に切ったりするっていうのはすごい難しいですよね。なんかこうどっかから拾ってこないと完全には無理かなって思いますね。

猪狩
そうなんですよ。なんかわざとらしくなるんですよね。それで絵が出来上がっていくにつれて、さらにその形を調整しようとしてしまったりして、さらにわざとらしくなってしまって。任意の形についてはまだ考え中ですが、現在は連続写真からの引用に戻していますね。
さて、そろそろ1時間経ってしまいます。では最後の質問です。に制作の姿勢 取り組み方について特に気をつけていることとかあったら教えて頂きたいです。

福井
特に気をつけていることとして、自分がこうしようと思ったことに対して、それはどこから影響を受けて 、なんで私はこういう価値観でこういうふうに考えたんだろうというのを意識するようにしています。以前は作品があって、その後ろで作家は無味無臭であることがよしと思っていたんです。学生から今まで20年間で前半はチチカカ湖が大きなテーマとすると、後半の取り組みの大きな転換点になっているのは出産なんです。無味無臭であるというのを良しとしていたので、子供が産まれたから変わったみたいなことは絶対に言われるまいと構えていました。それは制作以外でもプライベートでも同じでしたが、ほんと隠しとおすぞくらいの勢いで頑張って今までどおりをやっていたんです。お子さんが生まれて作品に変化が出たりする人は多い。私はそれを注意深く避けるようにしていました。出産によって変化することを、あるひとつの場所に集束されていくことだと捉えていたんです。でもそれはそうではないと思うようになりました。出産というのは女性特有のものだし、体の変化も環境の変化も大きすぎるので、だからもう変化が大きすぎてちょっと何か振り回されてるように感じてその影響下での変化を反映する人を同じ言葉で一括りにして見てしまっていた。でも例えば卒業して制作の場所が今までは学校のアトリエだったのが、家になってちっちゃくなったとか、就職をして時間が削られたとか、引っ越して気候や環境が変わったとか、食べるものが変わったとか、いろんな要素があって、そこで何かしらその都度作品に影響が出ると思うんですけど、そのうちのただのひとつであり、それぞれのものだっていうのがようやく分かって、そうなるとじゃあ今まで出てきた物っていうのは、ずっと自分の中に積み上げられてきた価値観とか経験とかで、それを知ることというのはとても重要なことだなと思い至りました。特に自分で選んでいない部分の、家庭環境とか教育環境とか、そういう部分との関わりを、いちいち考える。そこに気をつけています。

猪狩
それ分かる気がします。 制作における事というわけではなくて、生きるために、というような感じがします。

福井
本当にそうですね。生きることは重労働ですね。

猪狩
ちょうど1時間経ったので そろそろ終わろうと思います。今日はありがとうございました。