猪狩
こんにちは。それでは始めたいと思います。この企画は僕が企画をして、Art Space&Cafe Barrackさんに持ち込み、場所を借りてやらせていだだいてます。企画については作家の話を聞いてみたいっていうのがそもそもの動機です。一般的に作品鑑賞は、作品から得る情報でおこなわれるとは思いますが、例えばその展示場所に作家さんがいたら、一言二言質問したりして、作品の見え方が広がるっていうことはよくあることだと思います。その内容を個人的に得た情報に留めずもう少し一般に共有できれば、作品の見え方、美術の鑑賞の仕方がちょっと変わるんじゃないかなと思いました。話を聞き、テキストにし、Web に掲載しようかなと思った次第です。
まあ今日はイベント最終日なのでちょっと踏み込んで話をすると、個人的にですが、学生の頃から美術シーンっていうのになんか面白みを感じていなかったんです。それは自分の勉強不足や知識不足からくるものかとも考えたりしていましたが、どうもそれだけでもない。作品を作ったり、他人が創作したものを鑑賞するというのは好きだったんですけど、いわゆる美術シーンっていう動きというか塊というかそういうのにすごく違和感があったんです。でも、まぁそんなものなのかなと思いながらも、作品は描き続けていくのですけど、自分の絵画の価値観が定まってくればくるほどその違和感っていうのが、少しずつ具体的に膨らんでいって、その違和感は何だろうなっていうのを考え始めたんです。それはなかなか言葉にはしにくいのですが、第1回目のトークはその違和感を美術の文脈と仮定して美術の学芸員の方と話はしてみました。でも、どうもそれでもないような気がして…。この「えのはなし」をこなすことで結論が出るわけではないとは思うんですけど、何かそういう違和感みたいなのが解消し、結果として何かしら美術に対する価値観が個人的にも広がっていければなと思っています。今日も作品のコンセプトというよりは、作品を制作している背景などが垣間見えたらと思っているのでリラックスして聞いてください。てことで、今日は森井開次さんです。森井さんは、大学が一緒で研究室も一緒で森井さんは1学年下でした。学生の頃から、僕とは全く違うアプローチで絵画を制作しているなという感じがしていて、しかもそのアプローチは当時の僕にはできないなって思っていました。でも、最近森井さんの仕事がスッと理解できるようになったり、ひょっとしたら僕も似たような仕事をしてきてんのかなっちょっと思ったり、ここで一回お話をしっかり聞いてみたいなと思って声をかけさせていただきました。よろしくお願いします。
森井
よろしくお願いします。
猪狩
そういえば、本日は画像スライドなどがありません。言葉で頑張って修飾はするつもりですが、皆さんのイマジネーションにかかっているのでよろしくお願いします。
では、最初の質問。これは皆さんに聞いているんですけど、美大に行こうとしたきっかけ、作品を作っていこうと意識したキッカケというのを教えてください。
森井
はい。まあ美大受験をしようとしたきっかけ。まぁ高校の時に、2年生かな進路選択みたいなのがありますよね、それで普通科の高校に通ってたんですけど、理系か文系かということで選んでくださいみたいな時に、ちょっとどっちも選べないぞみたいなことがあって、なんか将来のことを具体的に想像できなかったりとか、なんというんでしょうか反抗心というか、そういうのもあったと思うんですけど。まああと、そうですね、それで、理系でも文系でもなく、違う第三の道みたいな感じで美術系っていうことをいったっていう感じですね。だからあの、まあその何て言うんですかね、絵が、その後油絵科に行くんですけど、絵が好きで好きでしょうがなかったというわけではなくて、まあそういうちょっとそういう選択の仕方ですね。
猪狩
例えば美術館によく行っていたりとか、美術との関わりがあった生活だったんですか?
森井
そうですね。高校では美術部に通っていましたね。
猪狩
それはしっかりとした美術部だったのですか?
森井
そうですね。油絵を描いていましたね。まあでも、あんまりあの真面目な部活動はしてなくて、まあいろんな部活に入っていたんですけど、その中の一つって感じですね。
猪狩
大学には現役で入学されたんですか?
森井
1年浪人しましたね。高校時代はだからそういう感じで、浪人の時期は、まあ受験勉強ってその今日いらっしゃっている方は美術受験しておられる方が多いと思いますけど、あのまあそんなに何て言うんですかね、あんまり簡単ではないですよね。何か積み上げも必要だし、ある程度そういう集中力っていうんですかね、こうぐっと入り込んでいくような強さっていうのが必要ですよね。だからその高校の時のあのマインドではなかなかちょっと厳しかっただろうなと思うんですけど、まぁ浪人した時に、自分の家から遠方のまぁ通えるようなところだったんですけど、その美術の予備校に入って、そこで、それこそ部活みたいな感じで1日何時間みたいな1年で何枚石膏デッサンを描くんだみたいな感じで、もう完全にこう集中して1年間やって大学に入ったという感じですね。
猪狩
大学の頃はどんな感じの学生だったのですか?
森井
そうですね。そのまあとは言え大学に入ってみたら結局その絵描きになるということを考えるわけで、それで教員の先生方に、絵描きになるために自分の作品をどうやって作っていくのかっていうことを考えろということを求められるわけですけど、なんて言うんですかね、まあ受験勉強の方は割と分かりやすい目標を設定されていて、それに向かってあのなんて言うんですかね期間限定で集中的に取り組むっていうのをしたんで、そういうものとはまあ全然違うわけです。それでどうしていいのかいうのは分からなくて、元々その絵が好きで好きでしょうがないっていうのもそんなにないっていうところもありまして 、どうしていいのかわからなかった。まあただ学校なので、課題みたいなのがありますよね、まあそれに一生懸命取り組んで、自分なりに考えて何か・・、考えるっていう。課題に対して何か考える。答えを見つけようとするの事っていうのがまあ嫌いじゃなくて、それでまあそれが美術であってもなんでもあってもそういう取り組み方をしていましたね。まあ課題を一生懸命やる。
猪狩
さっき絵描きになるためとおっしゃってましたけど、大学に入った時には絵描きになろう、絵を描いて生きていこうみたいなことは思ってたんですか?
森井
そこなんですよね、だから結局そうですね…。絵もそんなに…、なんて言うんですかね内側からは湧き上がるように絵描きになりたいとか、あの、こういう作品を描きたいということがないんですけど、でもまあなんか絵描きになるっていう事を目標として活動するということでやっていましたね。
猪狩
それで、大学に入ってしばらくすると、その課題をこなす形ではなくなって行きますよね。その自分自身による制作に入っていくと思います。それぐらいタイミング、自発的な制作に入っていく時期には、描きたいもの、制作の方向性はというのは具体的にあったんですか?
森井
それがね、なくて。結局3年生ぐらいかな3年生ぐらいの時に、ある先生にですね、えーっと額田宣彦さんなんですけども、自分の作品を持って来いって言われて、まあやった課題をもっていったら君やばいよって言われて、自分の作品ないのって言われて。あ、やばいんだって。それでまあその自分なりに、自分で課題を設定して、それに取り組んでいくっていうそういう活動を美術で絵画でやるって言う事をし始めたのは、3年生くらいの時からですね。
猪狩
具体的にどんな課題を課して制作をしていたんですか?
森井
そうですね。例えばまず、自分がやっていこうとしているフィールドとして絵画ていうのを設定してたんですけど、その絵画を一回その客観的に見るって言うんですかね、客観的に見て、まあその構造上の特徴と言いますか、まあ何て言うんですか、板があってそこに線を引いたり色塗ったりするわけですけど、何かイメージを描けばそのイメージとその背景があって、まぁ地と図の関係って言いますけど、まあなんかそういう構造、絵画の中の、絵画っていう形式の中にある、中の構造の問題を考えて行くということをまず始めました。その自分の中からこう湧き上がってくるこれが描きたいとか、エモーショナルなものとか・・、何かこう何て言うんですかね、そういうものをまず横に置いといて、構造の問題をやるということですね。
猪狩
そのエモーショナルなものを置いといてっていうことは、そういったものが関わる可能性が選択肢としてあったけどそれは選ばなかったという感じなんですか?
森井
そうですね。というよりも、まあ大学入って一生懸命課題に取り込むんだけど、その何て言うのかな自分なりに一生懸命取り組んだけれども、要素として、要素が未整理なせいでまあ構造の部分もその気持ちの部分も、その人から言われた何か影響の部分も全部ごちゃまぜになって、一生懸命取り組んでたっていう感じで、それを整理したっていう感じですかね。
猪狩
その整理するのは、簡単でしたか。
森井
まあ、手捌きは簡単でしたね、要素を少なくしていって、それで自分の手跡とかあの手癖みたいなものを排除して、それでできるだけもう純粋な地と図だけで要素を絞り込んで作品を作っていくみたいな。まあなんかそういう風なアプローチをやった記憶があります。
猪狩
そうそう、おそらく当時の僕はそれをできなかったんですよね。答えを見つけるためにできるだけ要素を少なくして制作する、シンプルにするっていう段階がすごく早いなと当時思ったんです。学生の僕はそうじゃなくて風呂敷を広げていって、そこから、そん中からこれかなっていうのをチョイスしていくタイプ。今も多分そうなんですけど、森井さんの場合は結構早い段階で要素を絞って絵画を作っていたという印象です。しかしながら、その方法っていうのは、ある意味教科書通りというか、わかりやすい絵画の問題点の抽出みたいな感じをするんです。
森井
確かにそうですね。まあでも、当時としては何かシンプルな課題に絞り込んだとしても、十分そこで面白い考え事が出来たって言うか、まあ満足してたって言うか、そう思ってましたね。ただ対外的にはその今言ったように要素をシンプルにして問題を分かりやすく扱いやすくして、それで考えていくんだよっていうことを説明はしてて、それは説明しやすくて、それで相手もなんとなくある程度納得させられるんですけど、もう片方でなんかその自分の拙さを、まあ糊塗するようなというか、自分の拙さから逃げる術として、手跡を消していたっていうところもあって、その辺の何て言うんですかね、まあ欺瞞ですよね、嘘ついているよな、みたいなこともありましたね。そういう感じもありましたね、複雑でしたね。
猪狩
そういった制作の出発点があって、学生の時はその出発点に基づくというか、大きな変化なく継続して仕事をやっていくって感じですよね。
森井
そうですね。もうそれで大学院もそのラインに乗ってずっとやってたんですね。
猪狩
個人的には、大きな変化なくその問題意識の延長線上で現在まで至っているっていう印象があります。
森井
まぁそうですね。まぁ結局切り口っていうんですかね、その構造から入っていくみたいな、まず構造から問題にしていこうみたいな、そのとっかかりというのは、やっぱり自分の何て言うのかな、自分の地と言うか、地が出ているというか・・、という感じはしますね。なんかやっぱり気持ちの部分とかというのをとっかかりにはあんまりしないですね。
猪狩
なるほど、現在もそのようなスタンスで制作しているのですか。
森井
まあそういう構造的な部分をとっかかりにして、作品を作っていったんですけど、あのまあそこでやってられるうちは良かったんですけど、だけどもその大学だと周りに絵を描いてる人がいっぱいいて、まあまあなんとなくあの絵を描く雰囲気っていうのはあるんだけど、大学出て僕は就職したんですけど、働きながら描いていくうちに、まあ絵を描いている仲間っていうのはどんどんどんどん疎遠になっていってですね、まあなかなか会う機会もなくて、絵の話をする機会もなくなりますよね。でそういう中で、その自分の気持ちの部分と切り離した切り口、課題設定の仕方で、絵画をずっと続けていくっていうのが、心が持たなくなってきたって言うか、それで作り方を変えていかないといけないなって感じて。
猪狩
それは卒業後何年後何年目ぐらいのことだったんですか?
森井
うーーん。2005年に卒業してるんですけど、でも5・6年経ってからだと思うんですけど・・。2010年ぐらいかな。本当にそのやっぱり5年ぐらいで描いてる友達っていなくなってきて、それに加えて特にそのいわゆる美術シーンから注目されるわけでもなく、まあ自分の頑張りだけで描いている。まあそういう状況も当然想定はしてたんですけど、それでも描き続けていける方法っていうのはまあ考えていかないといけないなと思っていて、いざやってみると、まあどうやって最初の一筆を描き出すかみたいな、その元気・・元気の問題と言うか、元気が出ないぞみたいな。それで、あのなんて言うんですかね、じゃあ例えば最初の方は一日一筆、最低限ノルマとしてやってみようかとか、まあそういう感じですね。だからそれはもう形式の問題とかじゃなくて、自分がその筆を取れるかどうかの問題みたいな。そんな感じでした。
猪狩
その一筆っていうのは比喩的ではなくて具体的な一筆?
森井
一筆。本当に一筆。線を引く。
猪狩
その苦悩の時期が長かったんですか?
森井
今も続いている。
猪狩
なるほどー。そんな中、どういうとっかかりを見つけて作っていくことになるのですか。
森井
そのー。なんかね、やっぱりその作品、アイディアの段階があって、なんか何て言うんでしょうかね、作品っていう形があって……、あると思うんですけど、なんかそのアイデアの段階ではもう本当に無限定ですよね。無限定というか、まあそうですね、モチーフも特にあるわけじゃないんですけど、モチーフを持たないっていうふうにしているわけでもなくて、きっかけは本当になんでもあり。
猪狩
例えばそのきっかけを作るために写真撮っていたりとか、そういう何かをしてたりしてるんですか?
森井
そういうことはしてないですね。
猪狩
では、絵を始めるタイミングは、例えばイーゼルにキャンバスを置いてからというか、紙置いてから……。
森井
そう、紙を置いて。そのだからやっぱり構造になるのかな、丸描いてどうするっていうか、線引いてどうするとか。描けなかったらマスキング貼ってどうするとか。何かその何て言うんですかね、画面上の構造もそうなんですけど、その自分の手順というのですか、こう、積み上げていく動作の構造って言うんですか、それを何かまあ、なんと言うのでしょうか、まあ紙がないと当然描けないのでまず紙置いて、まあ大雑把に言うと何色にするとか、筆のでかさどうするとか、絵の具どうするかとか、まあそうやって一個一個積み重ねていくっていうか、そうですねなんか、動作を一個一個。
猪狩
まぁ最初に描かれるイメージは、さっき無限定と言っていましたけど、まぁ言っちゃえば何でも大丈夫という感じですか。
森井
なんでもありですね。だから、その結局じゃあ線を引くってなって、まーこう・・、僕左利きなんですけど、右から左にこうやって線を引くんだけども、それはなんか画面にこう、横にまっすぐに引かれた線のイメージを描く・・・、何て言うんですかね画面の中に登場させようと思って描いているってよりは、その行為をしているっていうか、行為の結果としてここにこういうのが現れました。それでそれに対してどうしますかっていう。
猪狩
その行為に行為を重ねていっていうことですよね。
森井
どうしようもない時はそういう風に描いてますね。
猪狩
あぁなるほど、それはどうしようもないバージョンという事ですね。では、どうしようもなくない時はどうしてるんですか。
森井
どうしようもなくない時は、結構具体的なアイデアを持って描く時もあります。
猪狩
あぁ、そういうこともあるんですね。
森井
そうですね、行ける時は行く。
猪狩
でもその具体的な何かイメージがあったとしても、基本的には、そのなんていうんですか、その動作の積み重ねで絵が構成されているっていう感じですか。
森井
そうですね。
猪狩
作品にタイトルはつけるんですか。
森井
タイトルはまあ・・、非常に消極的につける場合はありますけど、積極的にはつけないですね。
猪狩
どうしようもなかった時に描いた作品にもタイトルはつけたりしますか。
森井
まあそういうこともありますね。
猪狩
絵のスケールをどのように捉えていますか。
森井
スケール?
猪狩
大きさですね。例えば僕だとドローイングを描いて、このイメージは大きくできそうだなと思ったらちょっと大きく描いてみようかとか思ったりはするんですけど、森井さんのやり方だと、あまり最終的な大きさっていうのは関わらないまま絵が形成されていくような気がします。作品の大きさとかをどのように捉えているのかなと思って質問しました。
森井
大きさね。大きさについては、まあアイデアがある時とない時とあって、やっぱりあの何て言うんですかね、体の動きとか描き方なんかも考えたりするんですけど、割と床に絵を置いて描く場合が多くて、その時に何か、その何て言うんですかね、それがすごい大きい絵だったりすると、まあ高いところに上って描かないといけないとか、なんか絵の真ん中に座って、体を回転させて丸を描くとか、なんかそういうところで必要な大きさが決まってくると言うか、なんかそうですね、だからそういうイメージ、完成像のイメージがあって、作品のサイズが決まっているっていう感じではないですね、
猪狩
なるほど、例えばさっきのキャンバスの真ん中に座って丸を描くのであれば、そういう身体的な動きを考慮した大きい画面になる。
森井
そうですね。まあ2メーターぐらいかなとかっていう感じですかね。
猪狩
その、そもそもなんですけど、最初のドローイングというのは、A4くらいの紙があって一筆描く。みたいなイメージで僕は捉えてたんですけど、最初のイメージっていうのはそういうドローイングから始まるんですか。
森井
そうですね。
猪狩
それで、例えば大きな絵に発展する場合はそのドローイングをもとに、まあ例えば丸を自分が中心となって描いてみたらどうなるかなっていうアイデアが浮かんで来て、キャンバスに起こしていく。みたいなそんな感じなんですかなんかね。
森井
ドローイングはやるんですけど、ドローイングでやってるイメージとそのキャンバスに作るイメージというのは結構その、何て言うのかな、そのこいつをもとにこいつを描くっていう感じではなくて、結構その断絶があります。
猪狩
それは、このドローイングをもとに描くけどタブローでは断絶しちゃっているという状態なんですか、それとも、元々全然違うものになるのですか。
森井
そうですね。描いている間に何か思いついたことがあって、じゃあこれならキャンバスにやろうかっていう感じですかね 。
猪狩
では、キャンバスでも、さっき言ってた動作の積み重ねでの制作というか、一筆から始まっていく絵の作り方というのをまた一から始めるという感じですか。
森井
もうそのなんか床に置かれた紙と、その木枠に張られたキャンバスは、完全にもう構造が違うというか全然別のものなので、こっちからこっちへのイメージを展開があんまりスムーズに行かないというか、なんかそこを、あのこっからここへ昇華させるために何か工夫をするっていうよりは、何かここでやっててあの出てきたものを、アイデアをキャンバスでやるっていう。
猪狩
支持体が変われば感覚も変わって、それを落とし込むみたいな。
森井
じゃなくて、じゃなくてってことなんですけど。まあ全然違う仕事だっていうことなんですけど。
猪狩
すいません、ちょっと私把握しきれませんでした。例えば、ここ(※イベント会場にかけられていた絵)にある絵だったらどういう感じで始まるのですか。
森井
これは、キャンバスを切って床に置いて絵を描いて、それを貼って、描いたあとにキャンバスに貼っている。この画面のサイズにまあ仕立てていくという感じですね。
猪狩
なるほど。で、この絵の場合そのイメージの作り方っていうのは、具体的にどんな感じで作られているんですか。
森井
これは結局、絵の範囲を決めるっていう、自分で範囲を決めるっていうアイデアがあって、それで、でかいキャンバスに自分で絵の範囲を決めたんですね。絵を描いて、その自分で、こっからここまでが自分の絵ですよっていうのを決めた上でキャンバスに張る。
猪狩
絵の範囲でいうと、この絵の場合だったらどうなるんですか。
森井
そうそうだから、この範囲(イメージが描かれた色が塗られた範囲)が自分の決めた絵の範囲なんんだけど、このこうしたら(貼られたキャンバスの四角い形)、これくらいの絵の範囲であって、それってどういうことなんですかって言う。
猪狩
あーなるほど。その図と地的な発想は学生のことからの制作からずっと森井さんの中にあるような気がしますね。
森井
まぁありますね。これってどういうことなんやろかみたいなね。この絵の中でもあの地と図がこう入れ替わることが、なんとなく繰り返されるっていうか、そういう考えですね。
猪狩
このやり方だと、余白が生まれると思うのですが、その余白のあり方はどのように考えているのですか。
森井
そうなんですよね。だからこうバカでかいキャンバス、木枠に貼ってもいいよっていうことで。
猪狩
そうですよね。イメージが収まるギリギリでもいいし。
森井
そうそう。
猪狩
ひょっとしたらその木枠自体を作ってしまってもいいしっていう感じですかね。
森井
そうそう。
猪狩
これって最近の仕事なんですよね。
森井
えーっと、数年前ですね。
(その2に続く)