画家 森井開次さんとえのはなし
2021.12.19 Art Space&Cafe Barrack(その2)

(その1はこちら)



猪狩
アプローチの仕方って何種類かあったりするんですか?例えばキャンバスに自分の絵のフレームを作ってキャンバスに貼るというアプローチが一つあったとして、キャンバスにそのまま描くアプローチ、なんか目をつむって描くアプローチとか、まぁ例えばですけど。アプローチのバリエーションはいくつかあったりするんですか。

森井
いや、それは何て言うのかな、そのかなりその地と図とかその描いて張ってとか2個か3個ぐらいの要素の組み合わせなので、まぁ何ていうか私のオリジナルのこのパターンABCじゃなくて、それはもう限られてるっていういう風に思っていて、そんなにその私のパターンA、私のパターンBていう意識はないですけどね。

猪狩
まあその時に、なんて表現したらいいかわからないですが、まあその時は発想に委ねていくという感じですかね。

森井
そうですね。

猪狩
過去に具体的なイメージがあった絵もあったと思うんですけど、そういった具体的なイメージを拾ってくるっていう作業は今もありますか。

森井
今もやりますね。

猪狩
森井さんの過去の絵で僕が今イメージしているのは昆虫の絵なんですけど、2012年ぐらいですかね。あいちジーンというグループ展、あの辺だと思います。その時の具象性のあるイメージと今の具象性のあるイメージ、その捉え方の違いのようなものはありますか。

森井
うーん、そうですねぇ……。

猪狩
森井さんの絵を見たとき、形の持っていき方をどのようにしているのかなっていうのは、いつも思うんですよね。例えば、その何かのシルエットの形をどういう感じで引用しているのかとか、さっき昆虫といいましたが昆虫もシルエットでした。

森井
はい、まぁシルエット。

猪狩
それで、四角いキャンバスの中にそのシルエットが構成されているっていう印象なんですけど、ある時期からその具象的なイメージがなくなっていって、まぁそれこそそのイメージは、さっきおっしゃっていた制作方法が腑に落ちるような、絵の構造の組み立て、動作の連続で絵ができていくみたいなものに変わっていったという印象です。それって具象的なものからだんだん抽象的になっているという感じるんです。ただ、森井さんの絵は、抽象的な中でも何かしらの具体的なイメージは残っています。しかも、仕事的には変化があるのか無いのか、個人的には変わってないような気もするし、何かその具象的なイメージからは離れてはいったのだけど、今でも具象的なイメージを拾ってくることはあるとの事だったので、具象的なモチーフ・イメージの、過去と現在の捉え方の違いとかあったりすんのかなと。

森井
あーそうですね。まあいろいろあるんですけど、例えば学生の頃は、その人物のシルエットをモチーフに使って描いてたんですけど、まぁそれは最初は、あのなんて言うのか、実際に見ながら人物を書く方法がありますよね。それとは別に人物っていうのはまあ大きく言えば頭が一個あってそれで腕が2本あって胴体があって足が2本、まあ五体満足の人であれば。まあそういう人物表現もあり得ますよね。そしたら、そのデッサンで描く人物とは違う、なんか記号的な人物を描くこともできる。ただそこにも何か何となく自分がその絵を描くイメージのそのバランス感覚みたいなものが出るから、まあその要素をまあちょっと排除してみようかっていって人の写真撮って人物の輪郭をこうトレースして、でそれをあの内と外で塗り分けるみたいなことになっていきました。その時は、あのまあ構造のことをずっと考えてたんけれども、そのモチーフを図と地、その図がなければいけないので、その図を消極的にでも使わなければいけないっていう風に思っていて、それを何かうまく使う方法、違和感なく使う方法、自分としても許容できるような範囲で使う方法として、輪郭を描いて塗り分けるみたいなことをやっていました。で、虫はね、まぁこういうこと言うのあれなんですけど、虫は子供の頃から大好きで、カブトムシとか大好きで、カマキリとか、あの何百回と描いているんですよ。子供の頃から。それで、その自分がその何て言うのかな、写真の輪郭を拾って描いていた時に、その自分の中でも結局自分の拙さを誤魔化してるよねっていう気持ちがあって、それのなんて言うのかバックラッシュみたいな感じで、完全に空で描ける。完全に自分のて手慣れで描けるモチーフ。それはもう数えるほどしかないんだけども、それを描いたっていうのが虫の絵ですね。現在はまあデッサンぽいなんか風景を見ながら描くとか、まあ木を見ながら、木とか葉っぱとかあのなんて言うの葉っぱの重なりとか、すごくややこしかったりするじゃないですか、そこを上手く描けなかったりするんだけど、それを描こうと頑張って見るような描き方も含めて、モチーフの有無や、モチーフがある場合の描き方についても、できる限り広く許容して描いていると言う感じです。

猪狩
なるほどね。その卒業後しばらくは図と地というアプローチが明確な感じがしていたんですけど、さっきの話を聞くと、なんというのでしょうか、図と地が意外にそこまで明確ではなく、あやふやになってるような印象があるんですけど。

森井
そうですね。あやふやに。はっきりしたことが言えないというか、図と地って図と地があるって言ってしまえばそれで終わってしまうんで、あのそこで終わらせないために粘ると言うか、じゃあこの図と地を分けているその輪郭線があるけども、この線はなんなんですかとか、じゃあこれ点線だったらどうなんですかとか、線が太くなったらこれ幅になるから、これはもう面ですよねみたいなとかあるじゃないですか。で、そのところで頑張るって言うか、何か新しいアイデアを掻き立てていくと言うか、何かそういう頑張り方をしていますね。そこにちょっとね、気持ちみたいなものも乗ってくるんですよね。そうするとちょっと描けるなって感じ。

猪狩
なるほどね。何か話しを聞いてると制作の始まり方としては図と地の問題意識から解放されているような気もしました。以前は、かなり明確に図と地の問題意識から始まっているという印象でしたけど。

森井
そうですね、まぁ勉強していたっていう感じですかね。でも、その頃描いていた絵とかは結構好きなんですよね、自分としては、振り返ってみると。

猪狩
今の絵はどうなんすか?

森井
今の絵はもう気に入らないです。気持ちが入っちゃってるからね。拙さがもろだしで、ちょっと見られない。

猪狩
昔の方が巧みだった?

森井
巧みだっというか、うーん・・、うまくごまかしてたって言うか。

猪狩
あーそうか、ごまかしていた・・。僕、昆虫の絵を見た時にすごいなと思いましたけどね。それこそ上手いなぁと、巧みだなぁと。

森井
あーあの絵は、なかなかないじゃないですか、そんな子供の頃から描いてて、もう空でも描けるモチーフ・・・。あぁ、でもあるか。

猪狩
ドラえもんとか。

森井
オバケのQ太郎とか・・。まぁでも、なかなかなくて、まあそういうもの、そうというモチーフが、これあるなっていうのがあって、タブローに登場させようと思った。

猪狩
今ちょっとその絵を思い出して、どこか良いと思ったのかなと考えてみたのですけど、第一印象としては収まりがすごくいいっていうっていう印象があって、四角い画面に対してピシッと入っているってイメージがあったので、その森井さんのおっしゃる巧みすぎるっていうのは、それはそうなのかもって思いましたね。それはもう巧みに絵を作られているという感じ。それに対して今の絵の方が稚拙っていうのは、すごく面白い表現だなと思うんですけど、どの辺りが稚拙になっていくのですか。

森井
何ですかね・・。素直・・。

猪狩
あー、なるほど。僕の話になっちゃいますけど、上手く描こうとしないようにするっていう意識は、僕個人の制作においてはどんどん働いてきている気がしますね。なんかそれは、年を重ねるたびに。描き続けるたびに。それはちょっと違いますか?

森井
それはあります。結局、これ最初のあれなんですけど、結局その大学入って絵描きになります、それで絵描きっていうのは自分の作品を一から全部作っていく人ですよと、それで、ていうことは、描くものにも出来る限りごまかしがあっちゃいけないわけですよ。自分のオリジナルじゃないといけなくて、でもそうすると、なんかも上手く描いちゃいけないというか、まあ、そういう感じ。

猪狩
なるほど、わかります。そこは難しいところですよね。

森井
難しい。

猪狩
森井さんの仕事は、ある意味で形式的なアプローチだとは思います。僕も形式的なアプローチで制作を展開してみたことはあるんですけど、なんかそこまで造詣を深めることはできなかったんですよね。やってみた時に、やったその先に何か行き止まりみたいなイメージが膨らんでいく、それを続けることによって仕事が行き詰まってしまうのではないかというのがどんどん見えてきて、仕事が滞っていく。ああもうこれは僕には合ってないと思ってやめた経緯があったんです。そういうなんて言うんですかね、形式的な自分の仕事に対して、考えが行き詰まるとか、絵が描けなくなるとか、そういった時期はありありましたか。

森井
ありましたね。

猪狩
それはどんな感じだったか聞いていいですか?

森井
そうですねー。あのーバーネットニューマンの、あのなんていうか、画面ほとんど真っ赤っかかみたいな馬鹿でかいあの川村記念美術館にあったやつ。あれとか見に行った時に、あーなんかもうだいぶやっとるなっていう感じがあって、なんかそれにまあ触発されたのかな。だから四角い画面にこうまあ対角線を引いて、片方を青色で塗って片方をまあ残しとくみたいなパターンって、まー青と白の三角形が画面に二つ対角線でまあ塗り分けられて画面っていうか四角というか。それをやった時にまあ地と図が、まあそのどっちが地でどっちが図かってのもわからないし、だからなんかこれでもうこの話は終わりだなーって、そう感じた時があって、そういう瞬間があって、あ、これはもうちょっと私の方法も終わってしまったなという感じ。その時とってたアプローチが終わってしまったなという感じ。ただ、そのなんていうのかな、形式的なアプローチ、その時とっていたアプローチが、絵画のすべてともちっと思ってなくて、まあ他にもアプローチがあるんじゃないかという風な感じで、まあ完全にその何て言うのかな、完全にアウトって感じではなかったんですけど、最初からわかってたことをやってしまったみたいな、誰でも思いつくじゃないですか、半分に塗り分けるみたいな、どっちが地でどっちが図ですかみたいな。それをガチでやると結構しんどいっていうか、しんどいなって思いましたね。

猪狩
そうか。でも、森井さんの絵を見ていると、地があってその図であることのそのギリギリのところのゆらぎみたいなところで勝負してんのかなという印象を個人的には感じてたりしてるんです。しんどいとは思いながらも、図と地っていうのはテーマとしてあったりしているのですか。

森井
何か仮テーマ。そのまあとっかかりの一つですね。まあ今となっては。ただやっぱりこの構造は厳然としてあるので、そこから完全に自由になれればそれはそれでよしみたいな感じですが、まあその何て言うのかな常に常にこう創造性が枯渇したような状態で絵を描き始めるのことが最近多いので、そうするとまあとりあえず構造から始めようかっていうまぁあのとっかかりですね。その一つとして機能していますね。本当は魂のこもったあの一筆を描きたいなと思っていて、本当はね。それが一番いいんだろうと思ってるんですけど、そこに行くまでにちょっとちょっと段取りが必要というか。

猪狩
なるほどねー。僕はね、そうそう、どちらかというとイメージをとっかかりするタイプで、ちょっと外れちゃいますけど、今やってる仕事聞いてくれますか。ここ数年任意の形ってなんだろうかと考えることが多くて、任意というか、まぁ勝手気ままに形ができるとしたらその方法って何かなと思って、自分でフリーハンドで気ままに形を描いて、毎日一枚ドローイングみたいなことはたってたんですけど、それも何かすごく不自然な形になってしまう。毎日必ず形が変わってなおかつ気ままな形というところで、何かいいのないかなと思っていて、ふと思いついたのが天気図で、作業するタイミングでインターネットで天気図をプリントアウトして、それで等圧線というんでしょうか、天気図の線があるんですが、丁度愛知県の上にかかっている形を毎日拾ってドローイングしてるんです。自分でも何やってんのかなと思ったりしながら描いてますが、何かに繋がらないかなーと。

森井
河原温的なやつ。

猪狩
あー、そうそうそうそう。毎日何も考えずに描くこと、そんなことをしていたら形について何か答えでないかなと、自分の中でだけでいいので解決できたらなと思ってやってる仕事なんですけどね。

森井
それは結局だからそのあれなんですよ。自分のイメージとか自分の手癖から脱却して、だから結局その自分と 絵を遠ざけるようなアプローチですよね、客観化するというか。そうれはね、できればいいですよ。でも結構しんどいのはしんどい。

猪狩
そうですね、しんどい。結局しっかりと等圧線をトレースするとちょっと違うなと思うんですよね。しっかりトレースする、見ながら同じような形を描く、切り取ってその形を描く、とか色々やったんですけど、やっぱね、自分の中を通ったイメージからは逃れられない。でも僕はね、なんか自分の手癖が好きだったりするんですよね。それで、その辺のアプローチの度合いのような感覚は、やっぱり作家によって多分微妙に違うんですよね。そういうことを考えながら絵を描いていると、例えば森井さんの仕事とかをふと思い出したりして、 彼はどんな感覚で仕事をしてるのかなって思ったりするんでよね。

森井
それで声かけしてもらったんですか。

猪狩
いやいや。天気図のドローイングは最近の仕事なんで、森井さんに声をかけた後なんですけど。まぁそう言うなら自分の仕事が他人の仕事の理解を深めると言うか、まあそういうことがあって、なんか森井さんどんなこと考えてるのかなと思った瞬間でもありましたね。

森井
それは今現在進行形の仕事ですか?

猪狩
そうそう。絵を描く前にやってます。まあ長くても30分くらい、短かったら10分ぐらいで描けるので。まあ小さい画用紙でやってます。そうそう、河原温的なとおっしゃいましたけど、記録した時間も添えようと思って、1cm毎ストライプ状に43本メモリを作って、左からは月。今は12月なので12本目のラインを塗って、右からは日。今日やってたら19日なので右から19本目のラインを塗る。その上に等圧線のイメージを描く。だからその等圧線のイメージの後ろには線が二本必ず入っている。なんか言ってて恥ずかしくなってきましたけど、そういうことをやってみたりしてどう広がるかなとかね。

森井
そうですよね。そうやっていろんなどういう物があり得るのかみたいなのは探りますよね。色々ね。

猪狩
どういうものがあり得るかっていう時、判断基準は自分にありますか。例えばさっきちょっと恥ずかしくなってきたと言っちゃいましたけど、例えば自分の中では良いと思ってるけど第3者から見たらどうなのかとか、考えたりはしますか。

森井
まあそれは何て言うか、描いている時は考えないですけど、まぁ考えさせられる場所っていうのはこういう場所とかね、まぁ細々とですが発表してるので、まぁそういったところでは意識はしますよね。

猪狩
まあ作っているときはあんまり意識はしない。

森井
特に意識はしないですね。まあ全然評価されないですけどね。

猪狩
評価されない自分はどんな感じで捉えてるんですか。

森井
でしょうねって。ですよねって。

猪狩:その評価・・、まあその何て言うんですかね。このトークを始めたきっかけが、それこそそこだったりするんですよね。なんか僕のことを評価しろよと言わないんですけど、まぁ評価されないなぁと思っていろいろ考えを巡らせてみて、僕一人が評価されないのであれば、まあつまんない作品作っちゃってるんだなということで整理できたりはしますが、例えば身の回りにいる面白い作品作っているんじゃないかなっていう人たちも評価されなかったりしてかったりすると、どういうことだろうと思ったりして。でも、やっぱり美術館とかアートシーンが、作られているすべての作品を網羅するのは難しいと思うんです。その、ひょっとしたらこういう作家の話を聞くことが、少し美術鑑賞の価値観が広がることになるんじゃないかとちょっと思ったりして。でも、僕は教員でもあるので、権威側というんでしょうか、存在としてそちらの側面もあって、そういうジレンマもあったりしてね。まぁ、この企画で理解が進んだとしても、また違った側面が見えてきそうな気がしないでもないですけど。そろそろ時間なので、最後の質問にしようと思っていますが、ここまで絵を続けてきている理由は何だと思いますか。

森井
そうですね・・。

猪狩
大学を出たときはここまで続けている予定でしたか?

森井
続けている予定でしたね。だからそのそもそも自分がどういう絵を作ればいいのかっていうのを全然わからないような状態で始めて、今もあんまりわかってないんですけど、でもまあその大学四年ぐらいの時に、僕の心に残ってることがあって、額田さんという絵描きさんがいるんですけど、僕の大学の先生なんですけど、あのまあ地と図の問題があるよとか言って、僕に教えてくれた人なんですけど、その人が継続性の問題っていうのをね言ったんです。あの絵を考える上で課題の一つで、継続性の問題、どうやって続けるのか。それはもしかしたら絵の中の話として言ってたかもしれない、どういう風に考えて展開していくか。だけどその僕はもうどういう絵を描いていいかわからないような状況だったので、1年後描き続けられているかどうかも分からない状態だったので、そのモロに絵を描く人として具体的に絵を描き続けていくことの問題が、それが絵画の問題として、こう考える机の上に乗るっていうか、そういう体験をしたというか。そうか継続性の問題って主たる問題なんだと。ということはどういう絵を描けばいいのか分からないとか、そういう人間にとってもその継続性の問題を考えることが非常に重要なテーマなんだと思って、そうそうそれでちょっと続けている感じですね。だからそういかにいかに続けていくかっていうこと、逆に言えば続けることの、描き続けることの意味は考えてきましたね。だからそうですね だからモチーフの扱いが、様々に振れることであるとか、猪狩さんの指摘されたように、大学出てからもう20年ぐらい経ちますけど、20年経ってもまああんまり本質的には変わってない様子とか、確かに自覚があって、それは結局何か継続性の問題と関係がある気がしますね。結局何を描いていいのかわからないっていうのは、19歳、20歳で考えてたわけですけど、それは別に美術大学に入ってなくても、あの全然違う分野で例えば大学に行ったりとかしてたとしても、19歳、20歳の自分がどうしていいかわからないっていうのは多分あったと思うんですよね、それは結局なんかまあどうやって生きていいのかわかんないみたいなことなんですよ要は。でそれはまあ自分なりにいいと思うように生きていくこと、何をよしとして生きていくのかって考えるということであって、別に19歳20歳の時だろうが、40何歳だろうが、なんというか常にこう人間に課された問題と言うかなんか、そういうものだと思うんですね。そういうものとその自分の絵画、まぁたまたま出会った絵画ですけど、絵画を結びつけて考えてるので、まあだから続けているという感じですかね。そういう感じです。

猪狩
なるほどね。何か最初におっしゃってたあのそれほど絵を描くことが好きじゃなかったっていうのに繋がるような気がしますね、その継続の話は。
では、ちょうど1時間経ったので以上で終わりたいと思いますどうもありがとうございました